「当たり前」は「当たり前」ではない

今朝、お教室に入ると、
いつもと違う光景がありました。

先生が畳の目一枚一枚丁寧にほうきと塵取りでお掃除をされており、

普段ヨーガのアーサナのクラスとは異なり、お部屋にはテーブルが設置されていました。

着替えてすぐに、片付けのお手伝いをさせていただきました。

今まで、開場時間までにお寺の方や先生がお掃除やお片付けをしてくださっており、

私たち生徒は、到着してすぐにヨーガの実習に入れるよう、あらかじめ環境を整えてくださっていたのだそうです。

以前もお寺の方がお手洗いの便座もピカピカに磨いてくださっていると先生に伺ったことはありましたが、

実際に先生がお掃除をしてくださっているお姿を目の当たりにしたのも初めてで、恐縮に感じました。

頭では、先生やお寺の方がいつもこの環境を整えてくださっていることを知っていても、

そのありがたみを深く実感するに至っておらず、どこかでこの美しい環境は「当たり前」と感じてしまっていたように思いました。

今まで先生がお掃除されているお姿を私たちに見せなかったことにも理由があったのだそうです。

このことについても、教わる「時期」があり、それが本日訪れたのでした。

本日の体験から、数年前にインドのリシケシでお世話になったアシュラムのことを思い出しました。
アシュラムで住み込みで働くスタッフの方が毎日、暗い早朝に、アシュラム中を掃除してくださり、

私たちが生活したり、ヨーガの実習を行う環境を整えてくださっていました。

教室のお掃除や片付けは、本来は教えを請う生徒が行うべきであり、先生よりも先に到着し、待つものなのだそうです。
お恥ずかしながら、今日初めて知りました。
お教室やアシュラムに限らず、どこに居ても、何をしていても、見えないところでどれだけ多くの方が、

どれだけ苦労をして私たちが生きることを支えてくださっているか。

 

駅のトイレや構内のお掃除をしてくださる方、ゴミ収集のお仕事をしてくださっている方。

世の中では、功績を得たり、有名な方が偉いと讃えられがちで、もちろんその方々も苦労の上の結果なのだと思いますが、

誰にも気付かれず、褒められもせず、他者のために無私の奉仕をさせていただくことのほうが、

よっぽど讃えられるべき方なのだそうです。

そのことは、先日先生に教えていただいて観た映画『おみおくりの作法』からも感じます。

仕事や職場に対しても、文句など言える立場ではなく、先に大変な苦労を重ねて作ってくださった組織で

働かせていただいている、お金の稼ぎ方を教えてくださっているという謙虚な気持ちで

利己的な動機ではなく、他者のために奉仕させていただくべきなのだと教わりました。

未熟だった心から、精神的に成熟した心に訓練していく過程には、今まで見落としていた、

「当たり前」と思っていたことが「当たり前ではなかった」ことに気付き、謙虚に敬う心、

見えないところで苦労を重ね、他者を支えてくださっている方々への感謝の気持ちを持つことが

不可欠であると気付かせていただきました。

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Miki

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