サマトワヨーガ入門 8回目~集中力を養う~

この日、まずは、通わせていただいているお教室のある龍源寺さまのご住職が翻訳された、

禅について書かれた古書のご紹介がありました。

善悪の基準について。
どんなに柔らかく穏やかな言動だったとしても、それが自分の利益のために行われていた場合、「悪」である。

どんなに乱暴で雑な言動だったとしても、それが相手の利益のために行われていた場合、「善」になる。

普段、私の思う善悪の価値観とは異なるものでした。新たな学びになりました。

全ては、言動の発端をどのような心で行うか。それ次第なんですね。

 

入門講座は8回目を迎えました。
ヨーガは、心が一つのことに集中していけるよう、コントロールする訓練だと言われています。

しかし、物質的な社会の中で生きる私たちには、いきなり落ち着いて心をコントロールすることは至難の業です。

心は元々揺れ動いてしまう性質があり、実際に私自身も無意識に過去や未来のことを考えてしまっています。
外から入ってくる情報(五感で感じること)にいちいち反応しているようでは、

集中力は到底身に付かないものなのだと、普段の実習の際にも先生にご指導いただきながら気付くようになりました。

ただ、大変ありがたいことに、通わせていただいているヨーガ教室はお寺の中にあり、神聖で静かな環境です。
ここでは普段よりも心を落ち着かせ、集中しやすく感じます。

先生から、普段どんな時に心が揺れ動くかと聞かれました。

職場でデスクワークをしている際に、次々に色々な方から話し掛けられて、気が散ってしまうと答えました。

お寺の教室で集中できて、なぜ日常生活の中でできないのか。

それは、そもそも環境のエネルギーが違うこと、そして私が心をコントロールできないためです。

エネルギーについては、凛さんが記事に書いてくださっていますが、お寺はサットヴァ(純質)、

職場はラジャス(活動的)であるためだそうです。

エネルギーによる影響を全く受けないとは言い切れませんが、

エネルギーが違うからと言ってその影響を真に受けるのではなく、

冷静に心を一点につなぎ止めておくことが大切だと学ばせていただきました。

実践では、アーサナでポーズを行いながら、五感に入ってくる情報を味わったり、分析したり、

感情で反応するのではなく、ただ受け入れる練習を行いました。
また、身体に起こる感覚の変化も感じていきます。

普段、外側から入る情報(物質的感覚)ばかりに慣れていると、内側の感覚を感じるには、

集中力はなかなか続かないものだと感じました。外の交通の音などに反応していたり、

全く関係の無いことを考え始める自分にも気付きました。

しかし、根気よく淡々と訓練に取り組むこと、お寺以外の場所でも実践することの大切さを実感しました。

いつも教えていただいた智慧や知識を実践で体験することにより、

実感を持つことができます。

ありがとうございました。

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Miki

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他者のためになるように、ヨーガの智慧を正しく学ばせていただいております。