
真のヨーガ入門4回目の感想を書かせていただきます。
前回のレッスンまで先生から指示のあった、形は気にせず身体の動きと呼吸を連動させること、
それを目を開けた状態、目を閉じた状態で行うこと、立位での実行に、
今回から「感じてください」という指示が加わりました。
腕や脚を持ち挙げる際、その過程を感じると、とても重く感じ、
また挙げた状態をしばらくキープした際は、さらに重さ、筋肉の疲れを感じました。
座位の際は、先生の指示に従って腕や脚を動かしたりしていることに集中すべきところ、
股関節の不具合が常に気になってしまう状態でした。
身体の一部分を持ち上げた時の重さ、それをキープしている時の筋肉の疲れや痺れた感覚、
立位でバランスをとるためのぐらつき、頑張ってやってしまっている状態、
股関節の痛み、途中で襲ってくる眠気・・・
あらゆる身体や心の反応や眠気で注意力散漫になり、朦朧としていたからか、
先生の指示も正しく理解できなくなるほど混乱しました。
そんな注意力散漫な自分にイライラする反応も出てきました。
動作としてはとてもシンプルで、たった5回の繰り返しにも関わらず、
今日はぐったり疲れてしまいました。
普段のハタヨーガの実習では90分~120分間、もっと細部を繊細に意識しなければならないアーサナを
行っているにも関わらず、今日の入門コースのような疲れは全くありません。
なぜ、疲れたのか。
それは、「感じていた」からなのだそうです。
普段のハタヨーガのクラスでは、「身体に起こる反応や感情を客観的に観てください」と指示をされますが、
今回は敢えて「感じる」ように指示があり、その結果を自分の身体や心に起こさせ、
身をもって体験することができました。
行為をしたときに出てくる反応を100%感じてしまうから、その重みが全て身体や心に顕れ、
様々な感情に飲み込まれて疲れてしまうそうです。
本来心を鎮静化するはずのヨーガの行法の一つであるアーサナ中も、
感じすぎて「敏感」になってしまうと、反応の連鎖が活発になってしまい、
かえって逆効果になると教わりました。
身体に起こる反応を感じるのは悪いことではありません。
なぜなら、感じることができないと、生命に関わる危険を回避できないからだそうです。
例えば、感じる能力が鈍いと、沸騰したお湯に指を入れても、
即座に「熱い」と感じないため、火傷をするかもしれません。
感じることが悪いことではなくても、行き過ぎると落とし穴に至る危険性があるため、
病気になってしまう場合があるのだそうです。
自分の言動、感情、思考を客観的に観ていないと、感じたことはそのまま脳に刻まれ、
習慣化され、過去に経験した感情や反応が行為に紐づいて繰り返し出てきてしまいます。
それでは自動的に生きていることになってしまうそうです。
通わせていただいているヨーガ教室では、先生が常に「客観的に観てください」と
指示をしてくださいますが、日常生活の中で、常に先生に隣に居てそのように
指示していただくことはできません。
このお教室、真のヨーガ入門で体験させていただいたこと、学ばせていただいたことは、
お教室の外でも自分で実践できるよう、ヨーガをツールにこれからも客観的に観て、
意識的に生きる訓練をしていきたいと思います。
感じている自分を「客観的に観る」こと。
次回はその学びに入っていきます。
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Miki

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