
9回目は実践の後に、自身の心の不調和を目の当たりにしました。
「ヨーガとは何ですか?」
先生からの質問に、私はこのように答えました。
「脳が自動化されているため、ありのままに物事を捉えられないため、客観視を育てるもの」
答えはノーでした。
「すべての魂は一つのところから来ていて、生きとし生けるものすべてが同胞であるにもかかわらず、戦争や殺人で多くの命が奪われている。そうならないように正しくヨーガを学ばせていただき、祈り、すべての魂が一つのところから来ているという意識に還り、同胞を助けていかなければならない。」
先生から、さらに突っ込まれます。
「『魂』という言葉を使いたくないんでしょ」
図星でした。
魂の科学を学ばせていただいているにもかかわらず、私は自分の中で信じているつもりでいて、周りの目を気にして、避けていました。
先生のご指摘と鋭い視線に萎縮し、言葉にできないショックを感じ、涙が出ました。
今でもその時のことを思い返すと、涙が出てきます。
先生はおっしゃいました。ヨーガを信じようが信じまいが、どちらを選ぶかではなく、
自分の本当の思いと言動を統一することが大切です、と。
高みに上がろうとする勇気に値しない低次元の意識:先入観や固定観念が、自分の中で調和せず、成長の壁になっていたようです。
その一件以来、正直まだその時の自分の感覚、感情、どうしてそのような先入観や固定観念が植え付けられたのか、じっくり見つめる時間がとれていないのですが、落胆したり、ふてくされるのではなく、ただ、浮き上がってきた感情や心を観てくださいとアドバイスをいただきました。
先入観については、過去に家族に言われたことや友人の体験談を聞いたことがきっかけだったと思います。
「他者に理解してもらえない。」「変に思われたらいやだ」そういった考えが潜んでいました。
今まで気付かなかったのか、気付いていながら気付かないフリをしていたのかまだわかりませんが、無意識に持ち続けていた先入観によって、本来の自分で居られないのは、非常にもったいないです。
最初は自分を責めましたが、自分が悪いのではなく、脳が蓄積した他者の意見であることを、冷静に見つめていく必要があります。
「自責の念にかられる」
この行動も、誰かに指摘、叱咤されると、その根源を深く見つめる前にすぐ自己嫌悪したり、自分を責めるという、ある種の方程式(パターン)が自分の中で出来上がってしまっているのかもしれません。
一度脳に刻まれたパターンは、ある条件をきっかけに1+1=2のように自動的に発動されてしまいます。
見つめる時間が無いということも、本当はただの言い訳で、そういう時こそ、自分の思いや言動を客観視すべきであり、ヨーガはそのためのトレーニングであるはずです。
自分を解体していくことは、想像以上に精神的、肉体的にも負担がかかります。
それほど心は強情で、簡単には変わっていくものではないからです。
ヨーガは一見、「幸せ」「気持ち良い」「光」などポジティブな面が一般的には強調されがちですが、宇宙の法則は陰陽の法則、表裏一体です。
「浄化」と聞くと一般的にはきれいさっぱり真っ白になれるというイメージがあるかと思いますが、その過程には痛みを伴います。
それを繰り返し、痛みと引き換えに浄化されていくのだそうです。
だからこそ、いちいち脳や感情にコントロールされている暇は無いようです。
他者からどう思われようが、何を言われようが動じない強靭な精神力を鍛えていくこと。
まずは、自分の中に潜んでいる見えない心を客観視していくことを、さらに続けていこうと思います。
鳥を飼っている方が、こんなことを仰っていました。
「鳥かごを掃除するのに、カナリアをかごの外に出したんですが、カナリアはかごの外に出たことが無いので、外に出したら自分の居場所もわからなくなってうろたえていたんですよ。目の前に自分がいつも入っているかごがあるのに、外観を観たことがないからパニックになっていたんです。」
心も、そうなのかもしれません。
自分が客観的に心を外側から観たことが無いと、正体がわからずパニックになる。
それなら、ただ観て知っていけばいいだけなのかもしれません。
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Miki

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