坐禅会で繋がったヨーガの教え

土曜日、通わせていただいているヨーガ教室のある龍源寺さまで、月に一度行われている坐禅会に参加させていただきました。
松原信樹ご住職さまはお盆の法要で、横浜の正福寺でご住職をされている松原行樹さまにご指導いただきました。

 

いつもと違う環境、人の中で、ただじっと座る。

合図の後に自然と坐禅に入ります。
五感から入ってくる外の音や自分の考えをただ黙って見つめます。

ふと、坐禅をする意味について考えが浮かんできました。

静寂の中では、服が擦れる音、荒い息遣いなどが目立ってしまいます。
またこういった場所に限らず、歩き方、足音、声の調子、話し方、ドアの開け閉め、全ての立ち居振る舞いが相手の領域に影響を与えます。

 

しかし、ご住職の歩かれる際の服の擦れる音、足が畳を踏む音の優雅さといったらありませんでした。

 

所作、立居振舞については、現在通わせていただいているヨーガ教室samatwayogのJuna先生からも、入門当初より教えていただいています。

私は普段お教室で、社会の中で自分の立居振舞による不快な影響を他者に与えてしまわないように、心を落ち着かせる訓練をしているんだ、ということに気付きました。

 

以前、『バタフライエフェクト』という映画を観ました。

映画の冒頭で「バタフライ効果」について説明があります。
蝶の羽の羽ばたきによる空気振動は地球の裏側まで影響を与える、という力学的な理論を引用しています。

自分一人の中も小宇宙であり、例えば自分の心の反応や、産み出された思考が自分の身体や生き方に及ぼす影響があります。

他者と同じ空間を共にする部屋、会社、公共の場、市区町村、都道府県、国も、それぞれが小宇宙だと考えられるのではないでしょうか。

規模が変わるだけで、一人がもたらす影響の度合いが大きいのは、実は変わらないのではないかと思いました。

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坐禅の後の法話では、ちょうどお盆の時期なので、盂蘭盆(正式な呼び方)についてお話がありました。

お盆は、先祖や亡くなられた方の供養だけが目的ではなく、生きている私たちの生き方、精神的な成長について問う期間でもあるそうです。

「盂蘭盆」の語源はサンスクリット語の「ウラバーナ」だそうです。

ウラバーナとは、「逆さ吊りの苦しみ」、すなわち、平生の中で逃れようにも逃れられない精神的な辛さといいます。

お釈迦様の弟子であった目連和尚が、天上を見つめたところ、亡くなった優しい母親が天国で姿が見えず、餓鬼(いくら食べて飲んでも空腹と渇きに苦しむ世界)の世界にいたのだそうです。慌てて食べ物、飲み物を口元に運んでも、口に入る前に炎になって口に入っていかない。そのことをお釈迦様に相談すると、他者は何もしてやれないが、7月15日に母親の供養をし、祈りを捧げることで成仏できるといわれ、実行したところ、母親が昇天していったそうです。

昇天できた母親も目連和尚も互いに喜び、踊ってお祝いしたそうです。
それが盆踊りの起源となったそうです。

母親の喜びは目連和尚の喜び、目連和尚の喜びは母親の喜び。

そこから、生も死も一つのことであり、同一視しなければならないと説かれています。

 

最後に行樹ご住職が仰っていました。

 

「今があるのは全てご縁で、お陰様である。ご縁や他者の助けが無ければ今はない。だから、「有難い」と言う。自分を大切にして生きることが、周囲への恩返しになります」

 

新たな気付きをありがとうございました。

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Miki

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